かつて学生運動の波が日本中を覆い尽くした昭和の時代、同じルーツを持ちながら血で血を洗う凄惨な殺し合いを繰り広げた「革マル派」と「中核派」。半世紀以上が経過した2026年現在も、両派は警察庁や公安調査庁から「極左暴力集団」として厳重な監視対象に指定され、活動を続けています。
ネット上やSNSでも時折話題にのぼるこの2大組織ですが、「そもそも何が違うのか」「なぜあそこまで激しく憎み合ったのか」という疑問を持つ人は少なくありません。ヘルメットの色や刻まれた文字といった外見的な違いから、分裂の真相、拠点大学、そしてYouTuberとして若年層を取り込もうとする中核派と地下潜伏を続ける革マル派の「現在の姿」まで、その決定的な違いを徹底解説します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:もとは単一組織「革共同」だったが、指導者である黒田寛一と本多延嘉の理論対立により1963年に完全に分裂した。
- 要点2:白ヘルメットに「Z」の革マル派と「中核」の中核派は、100名以上の死者を出す凄惨な「内ゲバ」で互いを殲滅しようとした。
- 要点3:2026年現在、中核派はYouTubeや地方議選で「若返り」を図る一方、革マル派は組織防衛と潜伏路線を維持するなど対照的な動きを見せている。
【一目でわかる比較】革マル派と中核派のヘルメット・機関紙・拠点
街頭デモやニュース映像で両派を見分ける最も直接的なポイントが、ヘルメットのペイントや発行する機関紙、そして活動拠点です。どちらも白いヘルメットを着用する場面が多いものの、細部には明確な差異が刻まれています。
革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)のヘルメットは、白地に赤い塗料で「Z」、あるいは「革マル」と大書されています。この「Z」は全学連(全日本学生自治会総連合)の頭文字に由来するシンボルです。発行する機関紙は『解放』で、出版活動や対外発信を担う公然拠点は東京都新宿区に構える「解放社」です。
対する中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)は、白地に黒い文字で堂々と「中核」と書かれたヘルメットがトレードマーク。機関紙の名称は『前進』であり、東京都江戸川区にある巨大な活動拠点「前進社」が総本山として知られています。鉄扉と監視カメラで要塞化された前進社は、家宅捜索が入るたびに機動隊と激しい押し問答を繰り広げる光景が全国ニュースでもおなじみです。
革共同分裂の経緯とは?黒田寛一と本多延嘉が生んだ決定的な亀裂
激しく敵対する両派ですが、もともとは1957年に結成された「革命的共産主義者同盟(革共同)」という同一の組織でした。日本共産党のスターリン主義的なあり方に反発した知識人や学生が集まり発足したものの、運動の方向性を巡って内部対立が勃発します。
決定的な亀裂を生んだのが、革マル派の理論的領袖である黒田寛一と、中核派のリーダーとなった本多延嘉という2人の強烈な個性でした。黒田は視力と聴力に障害を抱える孤高の哲学者であり、「権力との直接対決よりも、まずは党組織の建設と理論武装(反スターリン主義の確立)を優先すべきだ」と主張しました。
これに真っ向から異を唱えたのが実践派の本多です。「武装蜂起や街頭での実力闘争こそが革命を推し進める」と説く本多派は、慎重論を崩さない黒田派を「日和見主義の逃亡者」と痛烈に批判。両者の思想的対立は修復不可能なレベルに達し、1963年の「第3次分裂」によって、革マル派と中核派という2つの相容れない陣営へ完全に分かれました。
なぜ殺し合いに?100人超が犠牲となった「内ゲバ対立」の真相
同じ思想的源流を持ちながら、なぜ両派は国家権力である警察よりも激しくお互いを攻撃し合ったのでしょうか。その根底には、新左翼特有の「相手を絶対悪と見なす理論」が存在しました。
1960年代後半の学闘期を経て、対立は言論闘争から暴力的な実力行使へとエスカレートします。革マル派は中核派を「反革命的な狂暴集団」と罵倒し、中核派は革マル派を「警察権力と結託したスパイ集団」と断定。互いに「革命を成し遂げるためには、背後から足を引っ張る偽物の同志を物理的に解体・殲滅しなければならない」という狂信的な論理に囚われていきました。
1970年代に入ると、鉄パイプやバール、斧を手にした襲撃部隊が相手の拠点を強襲する白昼の暗殺劇が常態化します。1975年には、埼玉県川口市のアパートに潜伏していた中核派トップの本多延嘉書記長が革マル派の部隊に急襲され、頭部を滅多打ちにされて惨殺される事件が発生。激昂した中核派は全面的な報復戦争を宣言し、全国各地で凄惨な報復の応酬が展開されました。この一連の「内ゲバ」により、双方合わせて100名を超える死者と数千名の負傷者を出すという、日本の治安史上類を見ない惨劇が引き起こされたのです。
全学連と拠点大学の違い|動労千葉とJR総連にまで及んだ影響力
組織の拡大を図る両派は、大学キャンパスの自治会支配と、国鉄改革に揺れる労働組合の獲得において激しい縄張り争いを演じました。
学生運動の統括組織である「全学連」も両派それぞれが自派の指導部を立ち上げ、並立する事態となります。拠点とした大学もくっきりと分かれました。革マル派はかつて早稲田大学を強固な牙城とし、キャンパス内の掲示板や自治会を暴力的に完全掌握していた時代があります。ほかにも愛知大学や東京教育大学(現・筑波大学)などに浸透しました。
一方の中核派は、長年にわたり法政大学を「本拠地」と位置づけ、激しいアジテーションを展開したほか、京都大学の「熊野寮」などを足場に勢力を誇示してきました。
さらに労働界においても両派の住み分けは先鋭化しました。中核派は国鉄の分割民営化に激しく抵抗した「動労千葉(国鉄千葉動力車労働組合)」と強固な共闘関係を結び、現在に至るまで集会やストライキを支援しています。対照的に革マル派は、JR東日本の最大労組であった「JR総連(全日本鉄道労働組合総連合会)」やJR東労組の内部に深く浸透し、警察白書などでも長年その影響力が指摘されてきました。
赤軍派や連合赤軍との違い|凶悪テロと大衆運動路線の境界線
新左翼を語る際、ハイジャックや人質事件を起こした「赤軍派」や「連合赤軍」としばしば混同されますが、中核派・革マル派とは組織の性格が根本から異なります。
赤軍派は、中核派や革マル派のような大衆運動からさらに先鋭化し、「前哨戦としての武力蜂起」を掲げて飛び出した急進派集団です。彼らはよど号ハイジャック事件を起こして北朝鮮へ渡ったり、重信房子率いる「日本赤軍」として中東を拠点に国際テロを展開したりしました。また、国内に残ったグループが結成した「連合赤軍」は、1972年に山岳ベースでの凄惨な同志リンチ殺人事件や「あさま山荘事件」を引き起こし、完全に破滅へと向かいました。
これに対し、中核派と革マル派はあくまで「労働者や学生に根を張った大衆組織」を自負していました。山中に孤立して自滅した連合赤軍とは異なり、大学自治会や労働組合といった既存の社会基盤に寄生・浸透する戦略を採ったからこそ、国家権力による壊滅作戦をくぐり抜け、半世紀以上にわたって組織を存続させることができたのです。
【2026年最新】YouTubeで若返りを狙う中核派と潜伏を続ける革マル派
2026年現在、中核派と革マル派は驚くほど対照的なサバイバル戦略を展開しています。最も大きな変化を見せているのが中核派の「オープン化と若返り」です。
中核派は公式YouTubeチャンネル「前進チャンネル」を運用し、かつての近寄りがたい過激派のイメージを覆すようなポップな編集で動画を定期配信しています。若手活動家を前面に出し、杉並区議会議員選挙で当選を重ねる洞口朋子氏をはじめとする女性活動家をアイコン化することで、SNS世代の若者へアプローチを試みています。もちろん、根底にある思想は反戦・反権力の実力闘争路線ですが、敷居を徹底的に下げることで新たな人員獲得に注力しているのが現状です。
対する革マル派は、依然として「非公然・潜伏路線」を崩していません。派手なSNS戦略には背を向け、組織防衛を最優先にしながら、正体を隠して労働組合や市民運動、大学のサークルなどに静かに潜伏する手法を継続しています。指導部の高齢化が進む中でもアジトの秘匿と防諜活動を徹底しており、公安警察にとっても実態把握が極めて難しい不気味な存在であり続けています。
【革マル派 中核 派 違い】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:中核派と革マル派は、2026年現在も内ゲバを行っているのですか?
A1:現在、昭和の時代のような流血を伴う直接的な殺し合いは確認されていません。双方の活動家が高齢化したことや、警察の取り締まり強化、さらには社会的孤立を避けるため、物理的な衝突は沈静化しています。ただし、機関紙上での激しい罵倒や思想的な敵対関係は今も解消されていません。
Q2:一般の市民や学生が巻き込まれる危険はありますか?
A2:無差別に一般市民を襲撃することはありません。しかし、大学構内や街頭でのビラ配り、反戦・労働問題を掲げたデモや勉強会を装って接近してくるケースは今も存在します。実態を知らないままサークル活動やボランティア感覚で関わりを持ち、後から極左暴力集団の関連団体だと判明してトラブルになるリスクには注意が必要です。
Q3:なぜ警察や公安調査庁は今も彼らを監視し続けているのですか?
A3:過去に無数の爆破事件、放火、テロ、そして100名以上を殺害した内ゲバを引き起こした歴史があるためです。現在も武装路線を理論的に完全放棄したわけではなく、拠点の家宅捜索では偽造身分証明書や通信傍受機材などが発見される事例もあり、治安維持上の重大な潜在的脅威と位置づけられています。
まとめ:激動の歴史から見る新左翼の現在地
革マル派と中核派の違いは、単なるヘルメットの文字やアジトの場所にとどまりません。それは「組織の純化と理論を重んじるか、街頭での実力行動を重んじるか」という初期の思想対立から始まり、血塗られた内ゲバを経て、現在の「潜伏」と「デジタル発信」という両極端な生存戦略にまで結実しています。
かつて社会を揺るがした新左翼運動の爪痕は、消え去ったわけではありません。2026年の今も姿形を変えながら私たちの日常のすぐ隣で活動を続けているという現実は、現代社会を読み解く上で知っておくべき重要なファクトと言えます。 (出典: 革マル派 中核 派 違い(Yahoo!ニュース))